「リョウイチロウさんは20年以上、エンジニアをやっているのですか?」
はい。未経験からエンジニアを始めて20年を超えました!
こんにちは。
大阪でエンジニア(プログラマー)をやっているリョウイチロウと申します。
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現在はサラリーマンをやりつつ、ブログを書いています。
いまでは信じられませんが、エンジニアになった当時はインターネット上にもそれほど情報はなく、技術書を読んだり、人に聞いたりしながら覚えていきました。
東証一部上場大企業をやめてニートになった…
大企業に入社できた
高校時代は成績はトップクラスでした。
そもそも工業高校でまじめに勉強している人はほとんどいないので、ちょっと勉強したら誰でもトップクラスになれます。
そのおかげか、運良く大企業に入社できました。しかも、東証一部上場です。この時は「もうこれで、一生安泰だ」と思っていました。
正直、入社した当時は会社を辞めるなんて考えてもいませんでした。
仕事は技術的な名前の部署にも関わらず、実質的な仕事は子会社に任せていたために、ほとんど事務的にハンコを押すだけのものでした。
納品されてきた書類にハンコを押し、上司にもハンコを押してもらう。納品される山のような書類にファイリング用の穴を開け、ファイルにしまう。こんなことを毎日やっていました。
このままここにいてもなにも技術も身につかないし、でも、このダラダラした生活も捨てがたいような気もする・・・。
こんな葛藤をしていたある日、上司との面接であることを知ってしまいました。
この会社では毎年、順調に数%ずつ給与が上がっていっていたのですが、高卒と大卒では根本的に給与テーブルが違うために、高卒で入社して4年経ち22歳になっても、大卒で入ってきた新人の給与に追いつかないのです!
つまり、4年も働いてそこそこ使えるやつよりも、昨日入ってきたなんの役にも立たない大卒の新人の方が給与が高いのです!
これは衝撃でした。
結局のところ、給与というのはその人個人がどうこうというより、年功序列と学歴だけで給与が決まる現実を見せつけられました。
この現実を知ってから4ヶ月後、このままこの会社にいるのがアホらしくなり、入れてよかったなぁ、と思っていた大企業を辞めました。
ニート生活に突入した
なんのプランもなく勢いだけで会社を辞めてしまい、どうしようもなくなり、結局実家に戻りました。
ここから、絵に描いたようなニート生活が始まります。
昼過ぎまで寝ていて、起きてご飯を食べても、一歩も外に出ず、深夜までテレビを見て、また寝る。
たまに外出したら本屋で立ち読み。髪もボサボサ、ひげも伸び放題。まったく未来が見えない生活。日々ボーっと過ごしていました。
最初の頃は開放感がありましたが、だんだんなにをしていいのか分からず無力感のかたまりになりました。
ニートから社会へ復帰に成功
結局、ニート生活は2年間やっていました。
さすがにそろそろ働かないとまずいと思い始めました。
毎週毎週、転職情報誌を読みながら会社の面接を受けまくりました。
運良く東証一部上場のソフトウェア会社に内定をもらうことができました。たまたま大阪の事業所を拡大するということで、大量に人を採用していたのです。
2年もニート生活を送っていたので、最初は、言われるがまま、仕事をこなすだけで精一杯でした。
毎日、毎日参考書や別のエンジニアが書いたプログラムを見ながら延々残業していました。
いまはネットで調べれば大抵のことは分かりますが、当時はまだネット上の情報はそれほど多くなく、わからないことがあれば大きい本屋に行って、いろんな本を買い漁って調べていました。
Web系ITベンチャーに転職したら自律神経失調症になった(泣)
エンジニア歴のスタートはいろんな場所に客先常駐させられて消耗
この会社は受託開発の会社で3割くらいは自社内で開発していましたが、ほとんどは客先常駐でした。いまで言うところのSESです。
受託開発というのは、お客さんから「こういうシステムを作って欲しい」と依頼を受けてを受けてシステム開発をすることです。
SESと言うのはお客さんのところに常駐して仕事をするのです。一定期間、お客さんの会社の社員になるような感じです。
そのため、いろいろな企業に常駐していました。大阪だけでなく、京都や奈良のお客さんにも常駐していました。
中には行くだけで1時間半ほどかかるようなお客さんもありました。
「いろいろなところに常駐するのではなくもっと落ち着いて開発がしたい」
と思い社内で開発している会社を探していたところ、とある外資系の会社を見つけました。
小さな会社で、英語もあまりできませんでしたが運よく内定することができ入社しました。
同じことをやるのに飽きてしまいWeb系ITベンチャーへ
この外資系の会社には十数年間勤めていたのですが、使っている技術がずっと変わらず飽きてきてしまいました。
そのため、中高年と呼ばれる年齢なのですが無謀にもWeb系のITベンチャーに転職しました。
これが地獄の始まりでした。
仕事のやり方についていけず自律神経失調症になる
Web系ITベンチャーで担当になったシステムはすでに開発が終わっており、お客さんの社内で使われていました。
ところがこのシステムに多くの不具合があって、まともに使えない状態でした。
エクセルに不具合がまとめられていて、その件数が200件を軽く超えていました。ここにまとめられている不具合を毎日毎日、ひたすら修正する日々…。
毎日毎日、お客さんとオンラインミーティングで進捗を確認され、怒られる…。いわゆる炎上状態にありました。このミーティングは本当にきつかったです。
自分が作ったプログラムでこのような状態になるならともかく、自分がまったくかかわったことがないのに、なんでこんなことになるのか…。そんなことばかり考えていました。
入社して2週間くらいったころ、体に不調が起こりました。
夜になっても眠れず、かろうじて寝ても疲れが取れず、会社に行く気力がなくなり、肩こりがひどく、上半身がずっと緊張している状態なってしまい、全然リラックスできないのです。
なにかおかしいと思い、病院に行ったところ「自律神経失調症」と診断されました。
診断書をもらい、3ヶ月間会社を休みました。
自律神経失調症からの復活→自社Webサービス開発ベンチャーへ
3ヶ月間、会社を休んだことによりなんとか自律神経失調症から復活しました。病院で処方してもらった薬が自分にあっていたのだと思います。
しかし、家族もいるのでなんとか別の仕事を探さないといけません。
会社を休んでいたので、時間だけはあったので面接を受けまくりました。そこで50人規模のソフトウェア開発会社に入ることができました。
ここではお客さんのところに納めているプログラムの問い合わせ対応でした。お客さんからくる問い合わせに回答することが主な仕事内容でした。
新規のプログラム開発もあると聞いていたのですが、実際はほとんど開発はなく、はっきり言ってヒマでした。
典型的な日系中小企業という感じで、
- 残業することが正義、他の人が残業していているのに自分だけ帰るなんて許されない
- 役職者は役職付きで呼ぶこと
- メールしたら確認のために口頭で伝えること
などなど意味不明なルールがあって、とにかくめんどうで仕方ありませんでした。
特に残業時間については本当に意味不明で、仕事を早く効率的に終わらせるより、なんとなく長い時間会社にいるほうが評価されてました。
そんなとき、登録していた転職サイトからスカウトメールが来て、いくつかの会社と面接をしました。
正直なところ、転職歴も多いし、年齢もいっているし期待はしていませんでしたが、自社でWebサービスを開発、運営しているベンチャー企業の社長にわたしの経歴を気に入っていただけました。
現在はその自社Webサービス開発ベンチャーで働いています。
チャレンジしたことがある副業
会社員としての給料はどこの会社でも平均年収よりも上の金額をもらっていましたが、子どもが二人いるとなにかとお金がかかります。
このサイトによると40代後半、中小企業、男性の平均年収は「446.64万円」だそうです。
https://www.shunpon.com/entry/40%E6%AD%B3%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%B9%B4%E5%8F%8E
そのため、本業以外でも稼ごうと様々な副業にチャレンジしてきました。
うまくいったものもありましたが、大損したものもあります。
例えばFXはよく知りもしないのに手を出し、200万円くらいのお金が銀行口座から消えていました。
またマルチ商法では、30万円以上お金を使ってサプリの山が残りました。
情報商材の販売ではコンサル料として100万円払ったのに、コンサルティングしてくれるはずの講師と連絡が取れなくなるとか(泣)…
思い出すと泣けてきます。
これからやっていきたいこと
このブログではわたしが体験してきたできごとについて発信していこうと考えています。
こんなことを書いていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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